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これから香港に向かうために

鹿児島空港国際線に来ています。

奄美大島から香港に通って12年

最初の年は一度東京まで飛んで一泊して香港に向かったり

福岡まで行って香港飛んだり

時には沖縄までフェリーに乗って一泊して香港むかったり

そして今は鹿児島からLCCや香港航空で時間も料金も安くで行けるように。

その過程をたくさん積んだおかげで有難い気持ちが12倍!

ただ、全国の仲間に途中会えるのも楽しみの一つだったので

これからもきっかけ見つけて遊びに行きたいな(^^)

今思うと

自分の中で大きな転機はこのDragon Runに挑戦したことから

始まりました。

去年のアジア選手権での優勝して奄美人、二人で表彰台へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだsurf skiの外洋レースがあまりなかった頃

香港でOceanレースが始まるということで

22歳の頃挑戦すると決めました。

1回目のレースは50名ほどの参加者で日本人は5名

初めての海外の海を

怖さと緊張でガチガチになりながら漕いだのがとても懐かしく思います。

挑戦すると決めるたびに

たくさんの応援が形としてだったり想いとして届きました。

いつも心がけているのは

当時いただいた恩を『島に恩返しを』という気持ちで

常に考えながら行動して今があります。

島に恩返しはもちろんですが、パドルスポーツの普及にも力を入れて恩返しができるように

最近ではsurf ski、SUP、パドル用品の日本輸入代理店としてOcean sportsAmanicoを立ち上げ

奄美大島の自然や人々の素晴らしさ、海の豊かさを伝える

Amanico guide serviceと一緒に事業をしています。

 

 

大変な事もたくさんありますが

試練が来るたびに情熱や気持ちが

年々増してきています。

それは楠田先生から教えてもらった

「すっとごれ魂」

負けてたまるか精神

だと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奄美群島がアメリカの領土だった時代に復帰運動を起こし

水平線の先の見えない鹿児島を目指して

命がけで海を渡った先人達

 

時代は変わり

今度は私が海から奄美を見つめ直し島の可能性を発見して

開発のない砂浜を残す活動として

砂浜で活動するカヌークラブの運営

冬の奄美でもできる島での仕事を作り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族がいつもそばにいる環境を作りたいな!

そのためにも井の中の蛙にならないように

世界中から情報やトップ選手が集まる香港で

パドラーとして自分自身の挑戦をしながら

沢山吸収していきたいと思います!